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太宰治『津軽』あらすじと感想|太宰と母性と涙の物語

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津軽

『津軽』は1944年、太宰治が34歳の時に書かれた小説です。1944年の日本は太平洋戦争の真っただ中でしたが、このころはまだ本土には直接的な被害はなかったため日本が戦争に負けるという悲壮感が漂っているような時期ではありませんでした。

『津軽』は特殊な小説で、地方の地理や人々を描いた紀行文でありながらも、フィクションを交えた小説の側面も持っています。

太宰治『津軽』あらすじ:序編

或るとしの春、私は、生まれて初めて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかって一周したのであるが、それは私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであった。

太宰治は青森県金木村(現在の五所川原市)の生まれであり、親は大地主であったため、島津家は金木の殿様とも呼ばれるほどのお金持ちでした。太宰治は34歳になりある出版社の親しい編集者に、「津軽の事を書いてみないか」と言われ、自分の生まれた地方の隅々まで見ておきたく思い、東京を出発します。

太宰治『津軽』あらすじ:巡礼

朝の8時に青森に着いた私は、T君の出迎えに合います。T君はかつて島津家(太宰治の実家)に仕えていた男性の一人です。

二人の主な話題は、昔二人が金木の家で一緒に遊んだころの思い出でです。

「僕は、しかし君を、親友だと思っているんだぜ」そう言う私に対し

「それは、かえって愉快じゃないんです」

「私は金木のあなたの家に仕えたものです。そうして、あなたはご主人です。そう思っていただかないと、私は、嬉しくないんです。」と返すT君。

明日青森県蟹田へ行く私。

君も一緒に蟹田へ行かないかと、昔の私ならば、気軽に言えたものだろうと考えますが、大人になり遠慮を覚えてしまし言いだせません。

つまり、お互い、大人になったのであろう。大人とは侘しいものだ。愛し合っていても、用心して、他人行儀を守らねばならぬ。

しかし突然T君は言います。

「私は、あした蟹田へ行きます。明日の朝、一番のバスで行きます。Nさんの家で逢いましょう」

私たちには、まだ、たわいない少年の部分も残っていた。

T君とは、元々島津家に仕えていた外崎勇三氏であり、当時は病院の検査技師をしていました。大人になり再会した二人は一緒に遊んだ昔話に花を咲かせます。別れの際、大人の良識で明日の蟹田行きを誘わなかった太宰ですが、T君は明日蟹田へ行きますと当然のように言うのです。少年の部分を見せたT君を太宰は嬉しかったに違いありません。

太宰治『津軽』あらすじ:蟹田

都会人としての私に不安を感じて、津軽人としての私を掴むこと、つまり津軽人とは、どんなものであったか、それを見極めたくて旅に出たと私は記します。

この旅で私は自分の耳にひそひそと「宿命というべきもの」を囁かれる事が実にしばしばあり、私はそれを信じます。そして「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない」という妙な言葉を旅の手帳に2度も繰り返し書くのでした。

蟹田で出会うのはN君。中学時代の友人である中村貞次郎ですね。N君は私よりも2、3年遅れて東京へ出てきましたが、それからはまた二人の交友は復活します。N君は帰郷してからも、その不思議な人徳で蟹田の町会議員となり、今では蟹田になくてはならない人物となっています。

T君も合流、他に何人かが集まり蟹田の山へ花見に行く一行。その後Sさんという蟹田分院の事務長をしている家にお邪魔し、私は津軽人の本性を暴露した熱狂的な接待を受けることとなります。

その姿に自分の津軽人である自分自身の宿命を知らされた気になった私は、津軽人の愛情の表現は少し水で薄めて服用しなければならないと感じるのでした。

この旅の目的は「津軽人としての私を掴むこと」とう太宰ですが、Sさんの津軽人気質がさく裂、圧倒的な接待を受けることになります。こうした体験から太宰は津軽人としてのアイデンティティーをこの旅で確立していくことになります。

太宰治『津軽』あらすじ:外ヶ浜

N君は、私が締め切りの近い小説の執筆をしている間、精米工場で働いていた。N君は4歳の男の子が一人あるほかに、死んだ妹の子供を3人も預かっている面倒見の良い男である。

N君と農業について語るうち、青森の郷土史の中に津軽凶作年表があるのを私は発見します。それによると青森は5年に一度は凶作に見舞われているのです。

このような記録を見て私は、哀愁を通り越し憤怒を感じます。

生まれ落ちるとすぐ凶作にたたかれ、雨露をすすって育った私たち祖先の地が、いまの私たちに伝わっていないわけは無い。春風駘蕩の美徳もうらやましいものには違いないが、私はやはり祖先のかなしい血に、できるだけ見事な花を咲かせるように努力するより他には仕方がないようだ。

翌日私はN君の案内で外ヶ浜街道を北上、本州の北端の竜飛岬までたどり着きます。

竜飛は荒涼索莫たる場所でしたが、烈風に抗し、怒涛に屈せず懸命に一家を支えて津軽人の健在を可憐に誇示していた

その竜飛の旅館で私とN君は酔っ払い、歌いながら寝てします。

あくる朝、寝床の中で童女が表の路で手毬唄をうたっているのを聞く。

私はたまらない気持ちになった。いまでも中央の人たちに蝦夷の土地と思いこまれて軽蔑されている本州の北端で、このような美しい発音の爽やかな歌を聞こうとは思わなかった。

希望に満ちた曙光に似たものを、その可憐な童女の歌声に感じて私はたまならい気持になるのでした。

太宰は津軽半島の北端、竜飛へたどり着きます。そこは太宰の表現によると荒涼索莫たる場所でしたが、そこでも津軽人の健在を感じます。また翌朝には童女の歌声に希望に満ちた曙光を感じています。ここでも太宰は自分のルーツである、津軽人気質を発見したようです。

太宰治『津軽』あらすじ:津軽平野

この章ではいよいよ私が生家である金木町を訪れます。

竜飛で一泊した私とN君は翌日、蟹田のN君の家へ戻り、そのまま一人で生まれた土地である金木町へ出発します。金木の生家に着くと、兄嫁の出迎えがあります。あらかじめ父母の墓参りをさせていただきたい旨をハガキで出していたのです。

実家には長兄の文治と次兄の英治、長兄の長女の陽子、陽子のお婿さん、姪二人、祖母、などがいた。それぞれに挨拶などをする私ですがあまり会話は弾まない様子。

金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。

特に私と長兄との会話はぎごちない様子。

それもそのはず太宰は1930年にカフェーの店員の田部シメ子と心中を図り、田部シメ子だけが死亡するという事件を起こしており、その際は長兄の文治の働きかけで起訴猶予となっているのです。また生涯4度にわたり自殺未遂を起こしている太宰治の後片付けをしてきたのは、全て長兄の文治だったわけですから、その心中は推しはかられます。

あくる日、鹿の子川溜池というところへ出かける私たち。私は長兄文治について次のように述べています。

兄とこうして、一緒に外を歩くのも何年振りであろうか。十年ほど前、東京の郊外の或る野道を、兄はやはりこのように背中を丸くして黙って歩いて、それから数歩はなれた私は兄のそのうしろ姿を眺めては、ひとりでめそめそ泣きながら歩いたことがあったけれど、あれ以来初めての事かも知れない。私は兄から、あの事件(心中未遂事件)についてまだ許されているとは思わない。一生、駄目かもしれない。ひびのはいった茶碗は、どう仕様も無い。どうしたって、もとのとおりにはならない。津軽人は特に、心のひびを忘れない種族である。

太宰治『津軽』あらすじ:西海岸

生家の面々と鹿の子川溜池へ遊びに行ったその翌日、私は金木を出発して五所川原へ到着します。津軽に生まれた津軽に育った私ですが、ほとんど津軽の土地を知らなかったため、この町もちょっと見ておきたいと思ったからです。

私は五所川原から10分程度で木造駅に到着。

ここは父の生まれた町であるが、父は私が14歳の時に死去しており、父の「人間」についてはほとんど知らず、私はこの父を恐れていた記憶しかありません。父がいないから寂しいなどと思ったことは一度もないが、一体父はどんな性格の男だったのだろうと忖度をしてみるようになります。

父の実家である木造にあるM薬品問屋へ足を運んだ私は、家の間取りが金木の家の間取りと大変似ていることを発見する。父は金木で家を建てたが、自分の木造の生家と同じ間取りにしただけだったのだ。その心理がわかるような気がして微笑ましく思った。

五所川原へ戻った私はまっすぐに中畑さんのお宅へ向かう。中畑さんは私の20代におけるかずかずのふしだらの後始末を、少しも嫌な顔をせずに引き受けてくれた恩人である。

中畑慶吉さんは、太宰が田部シメ子と心中未遂をしたときに後始末をした人物で、太宰治が島津家と絶縁されてからも島津家と太宰を結ぶパイプ役、つまり島津家から派遣された太宰治のお目付け役だった人物です。2番目の妻となる石原美知子との結婚披露宴にも出席をしています。

そして物語はクライマックスを迎えます。

私が最後に訪れたのは、小泊である。私はそこでタケに会おうとしていた。

このたび私が津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたい人がいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。30年近くも逢わないでいるのだが、私はそのひとの顔を忘れない。
タケは太宰を3歳から8歳まで育て上げた女性です。太宰に読書や道徳などを教え、太宰の幼少期の生育に大きな貢献をしました。
或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はっと思った。何か、直感で察したのだ。私は大声挙げて泣いた。たけいない、たけいない、と断腸の思いで泣いて、それから、2,3日、私はしゃくり上げてばかりいた。

あくる朝、一番の汽車に乗った私は小泊港に着きます。たけの家を見つけた私ですが、戸に南京錠がぴちりとかかっていて固くしまっています。どこかへ出かけたのだと諦めた私ですが、筋向いのタバコ屋に聞くと運動会へ行ったとのこと。

運動場を二度まわりますが、たけを発見できず縁が無いと思い帰ろうとする私。しかしたけの家の前で偶然にもたけの子供を見つけた私は、その子供にたけのところへ連れて行ってもらうよう懇願します。

この子をつかまえたからには、もう安心。大丈夫たけに逢える。もう何が何でもこの子に縋って、離れなけりゃいいのだ。

そうして運動会でたけと再会した私ですが、たけはまじめな表情で「あらあ」と言い、「さ、はいって運動会を」と言って、たけの小屋に連れて行き「ここさお坐りになりせえ」とたけの傍に座らせて、それきり何も言いません。

けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思うことが無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれて初めて心の平和を体験したと言ってもよい。

私がいつまでたっても黙っていると、たけは肩に波を打たせて深い長い溜息をもらした。

たけも平気ではないのだと、その時私ははじめて悟ったのでした。

「竜神様の桜でも見に行くか。どう?」と私をさそったたけに応じる私。竜神様の森の八重桜のところで、にわかに堰を切ったみたいに能弁になったたけは次のように言います。

「30年近く、たけはお前に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな、とそればかり考えて暮らしていたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばると小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでおいいじゃ、まあ、よく来たなあ、お前の家に奉公に行った時には、お前は、ぱたぱた歩いてはころび、ぱたぱた歩いてはころび、まだよく歩けなくてご飯の時には茶碗を持ってあちこち歩きまわって、庫の石段の下でごはんを食べるのがいちばん好きで、たけに昔噺語らせて、たけの顔をとっくと見ながら一匙ずつ養わせて、てかずもかかったが、愛ごくてのう、それがこんなにおとなになって、みな夢のようだ。金木へも、たまに行ったが、金木のまちを歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでいないかと、お前と同じ年ごろの男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ」

ああ、私は、たけに似ているのだと思った。

きょうだいの中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育て親の影響だったという事に気づいた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはっきり知らされた。

太宰治『津軽』感想

小説中に事実と異なるフィクションもあるのですが、基本的には「私」=「太宰治」が生まれ故郷である青森県津軽を訪れ、過去にお世話になった人々と出会い、津軽出身者という自分のアイデンティティーを確立していく物語になっています。

しかしそうした出会いの物語だけでなく、各地方の紹介文がつらつらと書かれていることから紀行文と捉えることもできます。

小説として読んだ時に紀行文の部が冗長に感じられるのと、太宰治の年表が頭に入っていないと登場人物と私の関係性がわからないため、物語としてはあまり面白くありません。

しかし津軽の地を巡り人と出会うことで、自分の生まれの性である津軽人の気質を感じ取り自分の本質に気づいていく流れや、また亡き恐怖の対象であった父親が微笑ましく感じられる場面は興味深く読み進めることができました。

この『津軽』で最も印象に残るのはやはり最終章での「たけ」と「私」とのやり取りです。心が震えます。

体の弱い「母」に育てられず、たけに育てられた私は、たけとの出会いにより母性を感じそして旅の目的であった自分の育ちの本質を理解するシーンは美しく感じられることでしょう。

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