この記事では太宰治の作品の中でも最も言ってよいほど評判の高い『斜陽』について、そのあらすじと感想、解説をおこなっています。
『斜陽』は戦後の華族制度廃止の中で滅び行く4人の人間の姿を小説にしたもので、太宰治の故郷である島津家の没落、そして「桜の園」というロシアの戯曲を元に完成した小説です。時代の変化に飲み込まれた4人の生き方は、読む者の心を強く掴んでくるでしょう。
Contents
太宰治『斜陽』の背景
太宰治の『斜陽』は1947年(昭和22年)に発表された小説です。
1945年(昭和20年)の8月には太平洋戦争が終結、この小説はまさに戦後に発表された小説ということになります。
『斜陽』は初版1万部、2万部が増刷されるという高い人気を博し、これを機に太宰は大人気作家となります。
斜陽と華族制度
『斜陽』は華族の没落を描いた作品です。「華族」と言われても何の事やらわからないと思いますので、説明しておきますね。
日本にはかつて華族制度というものがありました。
明治2年から昭和22年まで続いたこの制度は日本版の貴族階級制度で、江戸時代の大名家や元皇族などが華族に該当し、司法・財産・教育などにおいて優遇措置が設けられていました。
しかしこの制度は戦後の1947年、日本国憲法の施行により廃止されます。これにより特権階級は無くなり、さらに財産税課税による重税を課せられることになり、多くの華族は没落していきます。
主人公かず子の家もまさにその華族であり、華族制度廃止により没落していくさまが『斜陽』で描かれています。
斜陽と桜の園と島津家の没落
太宰治の実家である島津家は、県下有数の大地主でした。
戦後の農地改革により島津家の没落を目の当たりにした太宰は、その時読んでいたロシアの戯曲「桜の園」と生家の没落が重なり、この作品を描くことを決意します。
そして愛人の太田静子が、静子と母親の戦中のことを記した「斜陽日記」を借りた太宰はその日記を元に『斜陽』の執筆を行うのです。
斜陽の主要テーマ
斜陽の主要テーマは、華族制度の廃止による4人の滅びですが、細かく言うと次の3つになります。
- かず子が貴族から賤民へと再生していく物語
- かず子が貴族と決別、生きていくために道徳革命を起こす物語
- 4人の破滅
前置きはこのあたりにして、『斜陽』のあらすじを見ていきましょう。
太宰治『斜陽』第一章のあらすじ
この章では
- 母が生まれながらの貴族であること
- 戦争へ行った弟のこと
- 死とかず子自身の象徴としての蛇
- 没落した華族が伊豆へ隠居する経緯
が語られます。
本物の貴族である母、行方不明の弟
弟の直治はいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向かってこう言いました。
「爵位だけ持っていて賤民に近いものもいれば、爵位がなくても生まれつき自然に貴族のような人もいる。ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。」
食事の作法にしても、母の食事方法は礼法にはずれているのに、そちらのほうこそ本物に見える母親。
その母親は不意に直治のことを思いだす。
「私」の弟である直治は大学の中途で戦争へ招集され、現在消息が絶えている。終戦になっても行先が不明で、母はもう直治に逢えないと覚悟しているようです。
私と死の象徴、蛇
ある日の午後、近所の子供たちが主人公の住む庭で蛇の卵を10ほど見つけてます。子供たちがマムシの卵だと言い張るため、私はそれを焼こうとします。しかし火の勢いを強めても一向に燃えそうにないため卵を火の中から広い、梅の木の下に埋めます。
それを見ていた母親は「可哀そうなことをするひとね。」と言います。
実は蛇は母にとって畏怖の対象なのであった。
10年前の父親の臨終の際に、母は父の枕元に落ちている黒い紐を何気なく拾おうとしたが、それは蛇であった。そしてその日の夕方、庭の木という木にたくさんの蛇が登っていた。
この事件以来、母は蛇に対して畏怖の情を持つようになっていたのだ。
蛇の卵を埋めたのを母に見られ、まずかったなと思った私ですが、それから数日後、上品な蛇が庭の芝生を這っているのを見つけます。埋めた卵の母親だと思われるその蛇を見てb母は「可哀そうに。」と沈んだ声で言うのでした。
その母の表情をみて私は次のように思うのでした。
夕日がお母様のお顔に当たって、お母様のお眼が青いくらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなお顔は、飛びつきたいほどに美しかった。
そうして私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇を、いつか、食い殺してしまうのではなかろうかとなぜだか、そんな気がした。
『斜陽』では「死」や「かず子(私)」を象徴する生き物として、蛇がたびたび登場します。
母にとって蛇は死を想起させますが、私にとって蛇は自分自身の象徴です。
このあと貴族を離れ俗人として強く生きようとするかず子の姿を蛇になぞらえ、その蛇は生涯貴族であり続ける母を食い殺そうとする、という俗人と貴族の対立構造を「蛇が母を食い殺す」と表現しています。
没落していく華族
主人公が東京の西町の家を捨て伊豆の山荘へ引っ越してきたのは、日本が無条件降伏をした年の、12月の始めでした。
かず子の父が亡くなってから家の経済は母の弟の叔父が世話をしていました。しかし戦争が終結し世の中が変わり「もう駄目だ、田舎の小奇麗な家を買い、きままに暮らしたほうが良い」という叔父のアドバイスに母は従ったのだ。
引越し準備の最中は毎日部屋でぐずぐずしている母親。引越しの準備が終わり顔を見ると、いままで見たこともなかったくらいに悪いのであった。
母は「かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ。かず子がいてくれてるから。」と意外なことを言います。
「かず子がいなかったら?」という問いに対し、「死んだほうがよいのです。お父さまの亡くなったこの家で、お母さまも、死んでしまいたいのよ。」と急に泣き出した。
いままで私に向かって一度だってこんな弱音を言ったことが無かった母親に対し私は次のように思うのでした。
お母さまには、もうお金が無くなってしまった。みんな私たちのために、私と直治のために、みじんも惜しまずにお使いになってしまったのだ。
ああ、お金が無くなるという事は、なんというおそろしい、みじめな、救いのない地獄だろう。
伊豆での山荘生活は4ヶ月になるが、食事の支度以外は編み物をしたり、本を読んだり、世の中と離れてしまったような生活をする主人公一家。
この山荘の安隠は、全部いつわりの、見せかけに過ぎないと、ひそかに思うときさえあるのだと、私は述べます。
日本は戦争に負け、華族制度は廃止されます。
今まで一度も弱音を吐かなかった母でさえ、その制度の廃止とともにアイデンティティーが崩壊し、これからの生活に不安を覚え泣き出します。
世の中が変わるという事は、その裏でこうした悲劇が起こっているのですね。
太宰治『斜陽』第二章のあらすじ
第二章では衰弱していく母と私の変化、そして弟の帰還について語られます。
母の衰弱と私の中の蛇
蛇の卵の件から十日ほどが経ったある日のこと、「私」はボヤ騒ぎを起こしてしまい、いよいよ母の悲しみを深くさせ、その命を薄くさせてしまう。
ボヤ騒ぎ以来、母は風の強い夜などは手洗いに行く振りをして、深夜いくども床から抜けて家中を見回るようになった。
蛇の卵と火事の件以降の母と私の様子について、私は次のように述べます。
あの頃から、どうもお母さまはめっきり御病人くさくおなりになった。
そうして私のほうでは、その反対に、だんだん粗野な下品な女になって行くような気もする。なんだかどうも私が、母から生気を吸い取って太っていくような心地がしてならない。
蛇と火事による心労で病人のようになる母。
一方私は、粗野な下品な女になる、つまり貴族から抜け出す兆候を見せます。
蛇である私は無意識のうちに貴族の母から生気を吸い取っていくのでした。
弟の帰還
ボヤ騒ぎも落ち着いたある日のこと。
「かず子さんと相談したいことがあるの」母にそう言われたかず子(私)はベンチに並んで腰をおろします。
「実はね、直治は、生きているのです。」母のその発言に私はからだを固くします。
聞けば現在、直治はひどいアヘン中毒になっており、この家に戻ってきてもしばらく静養させる必要があることを母に告げられる私。直治は高校の時に麻薬中毒となり、薬屋からおそろしい金額の借りを作りその借りを母が支払うのに2年もかかっていたことがあったのだ。
そしてもう1点、と母は続ける。
叔父の話では私たちのお金が、なんにも無くなってしまった。これまでのように私たちにお金を送ることができないので、直治が戻ってくる前に、かず子(私)を嫁入りさせるか奉公の家を探すかどちらかにしたほうが良い。とのこと。
感情的になった私は、「直治が帰ってくるとお聞きになったら、急に私を邪魔にして、宮様の女中に行けなんて、あんまりだわ、あんまりだわ。」「私さえ、いなかったらいいのでしょう?出て行きます。私には、行くところがあるの。」
と母に暴言を吐きます。
夕方、落ち着いた私に母は「初めて叔父にそむいた」と告げます。
弟のが生きていることが判明しましたが、直治は戦場でアヘン中毒になっていました。直治を家で療養させる必要がありますが、お金が無いので、かず子は奉公に行かねばなりません。
しかし疎外感を感じたかず子は母に暴言を吐きます。
それを受け母は、着物を売って暮らす、つまり貴族生活を最後まで続ける決断をしたのでした。
かず子のひめごと
また母と私の会話の中で、私の過去が明らかになります。
かず子はかつて山木という家に嫁いでいたが、離婚をしていたのです。
「行くところがある、というのは、どこ?」と怪しがる母の問いに対し、「他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。」と答えるのでした。
太宰治『斜陽』第三章 あらすじ
第三章では直治が南方の島から帰ってきます。
夕顔日誌とかず子の離婚
しかし直治は母親から二千円をもらい東京へ出かけてしまう。
私が家に直治の部屋をつくるために荷物を整理していると、「夕顔日誌」なるものが出てきます。これは直治が高校の時に麻薬中毒で苦しんでいた時の日記のようです。
それを読み6年前、直治の麻薬中毒がかず子の離婚原因となったことをを思い出す私。
直治は薬屋の支払いに困り、すでに山木と結婚していた私のところにお金をねだるようになっていました。山木の家へ嫁いだばかりの私には、自由になるお金がなかったため自分のアクセサリーやドレスを売り、金にします。
直治の依頼によりその金を小説家である上原二郎の元へ届けるよう言われた私は、一人で上原のアパートを訪れます。直治の姉であることを上原に告げると、上原はふん、と笑い、ビルの地下室にある飲み屋へ私を連れて行き酒をすすめるのでした。
帰り際、階段の中頃でくるりとこちら向きになった上原は素早く私にキスをした。上原のことは好きではなかった私だが、その時から私に「ひめごと」ができてしまったのである。
私は不思議な透明な気分で、ゆっくり上って、外へ出たら、川風が頬にとても気持ちよく感じられました。
当時恋も愛もわからなかった私は細田という画家を好きだということを公言し、夫婦の間にその問題が持ち出されるようになります。やがてできたお腹の赤ちゃんにまで疑惑が及び、それから赤ちゃんが死んで生まれて、私は病気になって寝込んで、山木との間はそれっきりなのである。
直治が高校の時の日記を読むかず子。6年前、上原との「ひめごと」が生まれた日のことを思いだします。
かつて細田という画家を好きだということを公言するとそれが大きな誤解を生んだ事、そしてかず子にはかつてお腹に子がいて流産していたことなどが語られます。
太宰治『斜陽』第四章 あらすじ
この章ではかず子(私)が上原に書いた手紙が3通紹介されます。
一通目の手紙
私には今の生活がたまらないのです。
このままでは親子3人、生きていけそうにないのです。着物を売って生活できるのはあと半年か1年。ただお金のことではなく、私自身の生命が、こんな日常生活のなかで、たちつくしたままおのずから腐っていくのをありありと予感させられるのが、おそろしいのです。
そう手紙に記した私は、上原に恋をしており愛人になりたいという気持ちを伝えます。そして自身の気持ちを返信するよう上原にお願いするのでした。
二通目の手紙
返事がないので二通目を書いた私。
上原にパトロンの役をお願いしているわけではなく、私はあなたの妾になり、赤ちゃんが欲しいのだと書きます。
三通目の手紙
2通目の手紙に対する返事もないため、さらに私は3通目の手紙を出します。
母の看病中なので東京へはいけないこと、是非一度こちらに来て欲しいとのこと、そしてあなたの愛妾になって、あなたの子供の母になることを望むと。はばむ道徳を、押しのけられませんか?
と記すのでした。
上原に恋をしており、愛人(妾)となり、あなたの赤ちゃんが欲しいというかず子。
6年前に一度しか会っていないにもかかわらずこの積極的な態度は違和感を感じますが、かず子が本当に欲しいのは上原の愛や上原の子供ではなく、それらを通じて道徳革命を起こすことです。
貴族生活からの離脱を果たすための道徳革命を行い、生きていくこと。これがかず子の本当の願いであることが最終章で明らかとなります。
太宰治『斜陽』第五章 あらすじ
この章では最後の貴族である母と、その母と決別し革命家となるべく行動に出る私の姿が描写されます。
ほんものの貴族である母と、革命家になった私
私は結局上原からの返事を受け取る事はなかった。
弟の直治にそれとなく上原の様子を聞いてみるが、その人は何の変わるところもない様子だそうだ。
この世というものが、私の考えている世の中とはまるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がし、これが失恋というのかもしれないと私は考える。私は上京して、上原に会いに行こうとひそかに心支度をはじめたとたん、母親の様子がおかしくなります。
母の発熱が続き3週間、叔父から先生が派遣されてきます。
母には心配ないという先生でしたが、私には「バリバリ音が聞こえているぞ」とのこと。つまり母は結核だったのです。「とにかくもう、手のつけようが無い」と医者は言います。
この頃から私は、社会主義の革命本を読むようになります。私はこの本の著者が、何の躊躇もなく、片端から旧来の思想を破壊していくがむしゃらな勇気に奇妙な興奮を覚えるのでした。こうした本には、どのようなどのように道徳に反しても、恋する人のところへ涼しくさっさと走り寄る人妻の姿さえ思い浮かぶのである。
母の病状は進行ていくある日のこと、母は夢を見たと言います。聞けばそれは蛇の夢。そして母が指さす方向には蛇がいました。私にはその蛇が卵を焼かれた蛇だと思われました。
しかしその日以来、私は悲しみの底を突き抜けた心の平安、とでも言ったらいいのか、そのような幸福感にも似た心のゆとりが出来、できるだけお母様のそばにいようと思います。
私はこれから世間と争っていかなければならないのだ。
ああ、お母様のように、人と争わず、憎まずうらやまず、美しく悲しく生涯を終わることのできる人は、もうお母様が最後で、これからの世の中には存在しないのではなかろうか。
ある日の昼過ぎ、叔父と叔母が東京から車で馳せつけてきた。直治と私を母は病床へ呼び出す。
二人ならんでお母様の枕元に座ると、お母さまは、急にお蒲団の下から手をお出しになって、そうして、黙って直治のほうを指さし、それから私を指さし、それから叔父さまのほうへお顔をお向けになって、両方の掌をひたとお合わせになった。
叔父様は、おおきくうなずいて、「ああ、わかりましたよ。わかりました。」とおっしゃった。
私も泣き、直治もうつむいて嗚咽した。
そして母は亡くなった。
秋の静かな黄昏、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまは生涯を終えたのです。
この章では最後の貴族として散る母の姿が描かれます。
結核であることがわかった母は余命いくばくもありません。死を悟った母が叔父に娘と息子のことを頼み、その姿に涙を流すかず子と直治の姿は深い悲しみとともに、貴族として母としての美しさを感じます。
その一方でかず子は革命の本を読み、世間と戦う決意をするのでした。
太宰治『斜陽』第六章 あらすじ
この章では母の死を乗り越えて、私(かず子)が上原との恋を成就させていきます。
戦闘、開始
かず子は、いつまでも悲しみに沈んでもおられなかったのである。私には、是非とも、戦い取らなければならぬものがあるからです。
それは、新しい倫理。恋。
直治は出版業の資本金と称して、母の宝石類を全て持ち出し、東京で飲み疲れると、若いダンサー風のひとを連れてきます。直治は、間が悪そうにしているので、私は(二人の邪魔をしないよう)東京のあの人へ会いにいくことを決意します。
上原の家につくと、中には上原の奥さんと12,3歳の眼の大きな女の子がいました。聞けば、もう3晩も飲みに行ったまま戻ってきていないとのこと。
奥さんから上原の行先を聞き、上原の元へ急ぐ私。
飲み屋で6年ぶりに会った上原はまるっきり、もう、違った人になっていました。まるで一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に座っている感じであった。
福井という上原の知り合いの画家に頼み、2階の部屋を借りることになった二人。そこへの道中私は上原に遮二無二キスされます。
仕方がない、言葉であらわすなら、そんな感じのものだった。
それから部屋についた二人ですが、いつのまにか上原が私の傍に寝ており、私は一時間ちかく必死の無言の抵抗をしますが、ふと可哀そうになって放棄します。上原から母の亡くなる前と同じ匂いを感じ、喀血したことを見破った私は、それを上原に指摘します。
死ぬ気で飲んでいるんだ。
いきているのが、悲しくて仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりあるものでなくて、悲しいんだ。
陰気臭い、嘆きの溜息が四方かの壁から聞こえている時、自分たちだけの幸福なんてある筈はな無いじゃないか。
明け方、傍で眠っている上原の寝顔をつくづく眺めると、近く死ぬ人のような顔をしていた。
私にはその顔が、この世にまたと無いくらいに、とても、とても美しい顔のように思われ、恋があらたによみがえってきたようで胸がときめくのでした。
弟の直治はその朝に自殺していた。
上原と結ばれ、革命の第一歩を踏み出すかず子。
道中で上原の嫁と子供にも会いますが、恋と革命という大義名分があるので臆することはありません。
世間との戦いに勝つための手がかりをつかんだかず子ですが、伊豆では直治が自殺をしていました。
太宰治『斜陽』 第七章 あらすじ
第六章で唐突に自殺をしてしまった直治。
この章はまるごと直治の遺書になっています。これまでその心情は吐露されることのなかった直治が、なぜ自殺をすることになったのかが遺書を通じて読者に知らされます。
直治の遺書
直治は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないと遺書で語ります。
そして今まで家族に対して冷めた対応をしてきたことや、薬物依存に陥った理由が述べられます。
僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そして、それが、所謂民衆の友になり得る唯一の道だと思ったのです。
直治は、麻薬やアヘンを使うのも、そうした民衆に負けまいとするからだったと言います。家を忘れ、父の血に反抗し、母の優しさを拒否し、姉に冷たくしなければ、民衆の部屋に入る入場券が得られないと思っていたのです。
しかしそんな直治の行動は実を結びません。
60%は、哀れな付け焼刃でした。へたな小細工でした。
民衆にとって自分はキザったらしく乙にすましたきづまりの男でした。彼等は僕と、しんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。しかし、また、いまさら捨てたサロンには帰ることも出来ません。
民衆に迎合されることもない、だからといって貴族生活へは戻りたくない。そうした葛藤の中に直治はいたのです。
そして着物を質に入れる母親から多額の金を貰い、東京で遊びまわっていたことについては次のように述べます。
僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです。快楽のインポテンツなのかも知れません。
僕はただ、貴族という自身の影法師から離れたくて、狂い、遊び、荒んでいました。
また、もっと早く死ぬべきだったと述べる直治ですが、死ねなかった理由が一つだけあると言います。
母親が他界し、死ぬ機会を探していたという直治。死ぬなら母の居た家で、しかし姉には第一発見者にはなってもらいたくはなかったと言います。
つまり姉が東京へ行ったことが、自殺を遂行するこれとない機会となったのです。
そして直治は一つ、秘密があると言います。それは、上原の妻に恋をしていることでした。
僕はいつか、奥さんと、手を握り合った夢を見ました。
そうして奥さんも、やはりずっと以前から僕を好きだったのだということを知り、夢から醒めても、僕の手のひらに奥さんの指のあたたかさが残っていて、僕はもう、夢から醒めても、僕のてのひらに奥さんの指のあたたかさが残っていて、僕はもう、これだけで満足して、あきらめなければなるまいと思いました。
そして「僕は、貴族です」という言葉で直治の遺書は終わっています。
ここまでその心情が吐露されることのなかった直治。しかし遺書という形でその全容が明らかとなります。
直治は貴族にも俗人にもなれず居場所を失い苦しんでおり、家族に冷たくするのも薬物に手を出すのも、すべて俗人として生きるための手段だったのです。
そして直治は一つ隠し事をしていました。それは上原の妻が好きだったということです。
その直治の告白を受け、最終章でかず子はある行動に出るのでした。
太宰治『斜陽』 第八章 あらすじ
直治の後始末をして一か月。私は上原に最後の手紙を書くのだった。
上原への最後の手紙
私からの手紙で、上原との関係は疎遠になっていることがほのめかされます。しかし、私は幸せだと言います。なぜならば私の望みどおりに、赤ちゃんが出来たからです。
そして不倫の結果できた子であることにたいしても、けがわらしい失策だとは一切思わないと言います。
私は、勝ったと思っています。マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。
私には、古い道徳を平気で無視して、よい子を得たという満足があるのでございます。
そして私も上原も、過渡期の犠牲者であると言い、私は生まれる子と共に第2回戦、第3回戦を戦うと宣言します。
しかし道徳革命にはいくつもの尊い犠牲が必要であることを私は嘆きます。
そして直治という小さい犠牲者のために、どうしても許していただきたいことがあると言い、物語は終わりになります。
私の生まれた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥様に抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。
「これは、直治が、或る女の人に内緒で生ませた子ですの。」
上原と疎遠になってしまったかず子。
しかし上原との子供を授かりこの子を育てることで道徳革命を成し遂げることができるため、幸せだというかず子。
一方で革命の犠牲者となった弟を弔うかのように、その子を直治の子だと偽って上原の妻に抱かせて欲しいとかず子は言うのでした。
太宰治『斜陽』感想と解説
最後に『斜陽』を読んだ感想と解説を行いたいと思います。
登場人物それぞれの滅び
この作品では、華族制度の廃止に伴う主要人物4人の滅びの物語が展開されています。
その4人がどのように滅んだかを見ていきたいと思います。
母
主人公かず子の母親は病死(結核)によって滅びを迎えます。
戦後までは華族制度により国家に守られて来ましたが、それが崩壊。残された子たちの行く末を不安を感じながら死んでいきます。
生まれながらの貴族であった母は、おそらく華族制度崩壊後は自活する能力もないため生きてはいけなかったのでしょう。その意味ではここで死を迎えることは華族制度に守られながらの死という、美しい最期であったと言えます。
「人と争わず、憎まずうらやまず、美しく悲しく生涯を終わることのできる人は、もうお母様が最後」とかず子が言うのも納得できるところです。
直治
直治は貴族の生まれにより、意識をしていなくても貴族の匂いが付きまとう、いわば生まれながらにして貴族の呪いにかかっていました。
薬物の力を借りて俗物世界への調和を試みますが、貴族の生まれのせいでそれもままならず、貴族に戻ることも出来ず自分の居場所を見失い、絶望し自殺します。
貴族という呪いのせいで、華族(貴族)制度の崩壊とともに直治も崩壊してしまったということです。
かず子の言葉を借りるなら、直治は過渡期の犠牲者になりました。
という直治の心の叫びは心に響きます。
上原
上原はかず子の言うところの不良です。上原は農家の出身ですから、かず子たち貴族階級とは対極の立場にあります。
しかし華族階級の撤廃により、新制度では平等な立場となるため対峙する階級がなくなります。それはつまり上原のアイデンティーが無くなることであり、それが虚無と退廃に繋がります。
死ぬ気で飲んでいるんだ。
いきているのが、悲しくて仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりあるものでなくて、悲しいんだ。
虚無感にに覆われ死ぬ気で飲んでいます。
そして喀血をしていることからいずれ死を迎えることが示唆され、上原もまた華族制度廃止の犠牲者となります。
かず子
母は最後の貴族として死に、兄は華族としても俗人としても生きられないことに苦しみ自殺を選びます。
最後に残されたかず子は、華族制度と別れを告げ生きていくことを選びます。
そしてそのための手段が、上原と結ばれて子供を作ることであり、それがかず子にとっての革命です。そして、その子供を育て上げることが第二、第三の革命であり、それによりかず子の道徳革命は完成するとあります。
華族として死んだ母、華族にも俗人にもなれず自殺した兄。この二人とは違う道を選び、生きていくことを決意したのがかず子ですね。
愛人の子供を育てるわけですから、これからのかず子の人生には差別や偏見などの苦難が待ち受けています。しかしそれらの逆境を跳ねのけて生きていくことがかず子の生きる目的となります。
かず子の目的は恋愛でも子供でもなく革命です。実は上原との恋愛や、子供をつくることはあくまでその手段に過ぎません。滅びゆく華族に見切りをつけ、逞しく生きていくための方法として母になるという道を選択したのです。その意味においては、生きていくために上原と赤ちゃんを利用したとも言えるでしょう。
この生き方は独善的で破滅的です。「かず子もまた華族の崩壊とともに滅んだ」という見方もできます。
しかし「太陽のように生きる」と宣言したかず子からは、母、兄、上原とは異なり生き方に力強さと明るさが感じられると言えるます。
斜陽のタイトルに込められたもの
斜陽は西に傾いた太陽のことであり、この小説では没落していく貴族階級のことを指します。そのことを端的に表した場面が次の一文です。
斜陽が堕ちていく貴族である母の顔を照らしています。
しかし傾いた太陽が照らすのは、何も没落していくものだけではありません。東から出る太陽は、未来を照らします。
上原と一夜過ごした後、夜明けの光で照らされる私の姿が次のように表現されます。
また、最終章では次のように古い道徳を壊し新しい生き方に希望を抱く私の姿があります。
蛇が象徴するもの
物語中、母にとって蛇は畏怖の対象ですが、かず子は蛇を自分と同化しています。
父が他界し、木の上に蛇が集まる場面をかず子は次のような気持ちで見ています。
けれども私には、そんなに怖く思われなかった。
蛇も、私と同様にお父上の逝去を悲しんで、穴から這い出てお父上の霊を拝んでいるのであろうというような気がしただけであった。
また卵を埋められてそれを探しに来た蛇の姿は、子を失った(流産した)かず子自身の姿が投影されています。
そしてその自分の中の蛇はやがて母親を殺すのではないかと懸念します。
母は最後の貴族として、作中でその命は消えてしまいます。
一方でかず子はこの先も生命を維持していかねばならず、貴族階級や既存の道徳観念を捨てて生きていく覚悟をします。母が病に伏せている間にもその気持ちは大きくなり、華族を捨て俗人として生きていく決意を「蛇=私は貴族である母を食い殺す」という言葉で表現しているのです。
火事を起こしたかず子は
と述べ、母親を衰えさせる行為(食い殺す行為)が、野性の田舎娘となる、つまりは貴族階級から離れて生きていくかず子の姿に近づいていくことを暗示しています。
太宰治の生涯については別途記事を書いていますので参照いただければ幸いです。
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これまで見てきたように破滅的とも思える人生を歩んだ太宰治ですが、太宰が書く小説は人の心を鷲掴みにし、一度読み始めると最後まで読むのを止めることができない作品が多いです。
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