この記事では明治時代の小説家、樋口一葉の「にごりえ」のあらすじと感想を書いています。
「にごりえ」とは「水の濁った入江や川」の意味で用いられ、主人公「お力」の境遇や人生と重ね合わせることができます。「お力」の不遇で悲しい物語を描いたこの「にごりえ」は心に響くことでしょう。
Contents
樋口一葉「にごりえ」の背景
当初にごりえの題名は『ものぐるい』や『親ゆずり』などが候補にありましたが、これは作中の「私は其様な貧乏人の娘、気違ひは親ゆづり」というセリフからも分かるように、主人公の性格・気性をがそのまま題名にしようとしていたことがわかります。が、あまりに表現が直接すぎるためこれらの候補は外され「にごりえ」という題名になりました。
「にごりえ」とは和歌の中で「水の濁った入江や川」の意味で用いられており、主人公「お力」の人生を「にごりえ」という風情のあるタイトルで表現したものと思われます。樋口一葉は高等科大四級を首席で卒業後、父親の取り計らいにより歌塾「「萩の舎」にて和歌を学んでいたため和歌に造詣が深く、こうした和歌に因んだ美しいタイトルが思い浮かぶのでしょうね。
個人的にこの「にごりえ」という表現は素晴らしく、主人公「お力」の人生を的確に表現していると感じました。
樋口一葉の人生は貧窮との戦いでもありました。「にごりえ」執筆後には父親の七回忌の支払い期限が迫っており、この「にごりえ」の原稿料15円はその支払いに充てられました。
樋口一葉「にごりえ」の登場人物
「にごりえ」に出てくる主要人物を図に示しましたのでご確認ください。
お力
中肉の背格好のすらりとした女。銘酒屋街の小料理屋「菊の井」につとめる看板娘で、酌婦をしています。要は料理やで男にお酌をする仕事をしています。現在の仕事に例えるなら、キャバクラ嬢もしくはガールズバーの店員といったところでしょうか。わかりやすく表現するために「キャバ嬢」と書いていますが、正確には「酌婦」です。
源七
「お力」に熱をあげる、布団屋の男性。妻子持ちにもかかわらず、このお力に熱をあげてしまったが故に身の破滅をすることになってしまいます。いわゆるダメ男ですね。
結城朝之助(ゆうきとものすけ)
紳士風の30歳の男性。「お力」にキャッチをされてそのまま店へ。その後「お力」に会うために週3でお店へ通う。キャバ嬢にはまってしまった男性。
お初
源七の妻。「お力」に心奪われてしまった「源七」は仕事もしていないため、一家を支えるため内職に励みます。とても可哀そうな女性。
太吉
源七とお初の子供。4歳。決して仲の良くない源七とお初に振り回される可哀そうな子供。子供であるがゆえにお力から貰った高級カステラを家に持って帰ってしまい、悲劇が起こります。
樋口一葉「にごりえ」のあらすじ
『にごりえ』は全部で8章から成る小説です。
それぞのれ章のあらすじを簡単に書いていきたいと思います。
樋口一葉「にごりえ」第一章
小料理屋(キャバクラ)「菊の井」で働く酌婦の「お力」。かつては布団屋の「源七」と恋仲であった「お力」でしたが、今は別れてしまい彼氏はいません。「源七」は「お力」のことが忘れられないようで、菊の井に足を運びますが「お力」は会ってくれません。
お力は「あたしはどうもあんなやつ、虫がすかなかったのよ。縁が無かったんだとあきらめてちょうだい」と復縁を勧める同僚に言い放ちます。
樋口一葉「にごりえ」第二章
雨のせいで客足が途絶える中、客引きをしたのが「結城朝之助」です。朝之助はその後、週に2~3回「菊の井」に足を運ぶようになります。
樋口一葉「にごりえ」第三章
結城に対して身の上を話したがらないお力でしたが、源七にことに話が及ぶと「源七の子供(太吉)が「お力」のことを「おに、おに」と呼ぶのが耐えられない」と心情を吐露します。太吉は4歳の子供ですが、夫婦仲が「お力」のせいで悪くなっているのを知っているようです。
樋口一葉「にごりえ」第四章
非常にボロい長屋に住む「源七」とその妻「お初」(推定30前)。
「源七」は以前菊の井に通う客でしたがお金が尽きて、菊の井に行くだけの財力はありません。貧乏生活の中、夫婦とその子「太吉」との3人その日暮らしをしており、妻の内職と原七の土方仕事でなんとか生計を立てています。
「お力」に思いを寄せて食欲を失う源七に対し、「あちらは売り物買い物、お金さえできたら昔みたいにかわいがってくれますよ」と源七をたしなめる妻と、「いや、おれだって、そんなにいつまでも馬鹿じゃいられない」と言う源七。
しかし源七は「思いは胸にもえている。それでからだがほてるのである」と、お力に対する思いは捨てられない様子。
樋口一葉「にごりえ」第五章
この章では酌婦たちの内面が描かれます。
白鬼(顔をおしろいで化粧しているから)と呼ばれる酌婦たち。店に客を招き、お金を吸い取る。時には客に借金も背負わせて身の破滅を呼び寄せる。
しかしそんな白鬼たちも、かつては「母親の体内には十月いたし、母親のつぶさにすがりついて、母親の膝の上でおつむてんてんとかわいらしい芸をした。お金とお菓子とどっちがいいよ言われれば、お菓子がいいと、ちいさい手を出した」のである。
菊の井の「お力」も仕事のため人間らしい感情は表に出さないが、時折感じる悲しさは積もっていくのである。酌婦という仕事とその上に成り立つ現在の生活は「不安に押しつぶされそう」と内面が描かれ、ある日その不安が積もった「お力」は仕事中に菊の井を離れて町へ飛び出すのでした。
樋口一葉「にごりえ」第六章
菊の井を突然飛び出して、街中をふらつく「お力」。
町の中で「朝之助」と出会い、菊の井へ戻ります。
菊の井では途中で仕事を放棄したお力に苦情を言うお客を尻に、「体調不良」と言い訳をしてそのまま朝之助の接客を行います。
「お力」は現在抱えている不安を朝之助の前で独白します。今まで語ることのなかったこの職業への思い、祖父と父親のこと、貧乏でその日の食事にも困るようだった幼少期、そうした境遇に生まれ出てしまったが故にもう這い上がれない身の上であることなどを「朝之助」にぶつけます。
「朝之助」はそんなお力に対して「おまえは出世したいんだな」「思い切ってやればいい」と言葉をかけるのでした。
そしてその夜、お力はそのまま菊の井に「朝之助」を泊めて夜を過ごすのでした。
樋口一葉「にごりえ」第七章
「お力」との思い出から逃れられず仕事に行く気もなくなった源七。そんな甲斐性のない源七に対して辛辣な言葉を並べるお初ですが、源七はただ仰向けに寝るばかりです。
そんな時太吉が高級カステラを持って帰ってきます。そのカステラはなんと、朝之助とデキた「お初」が「太吉」に買ったもの。それを知ったお初は激怒し、カステラを空き地の方へ放り投げます。
それを見た源七は「知った人なら菓子くらい子供にくれてあたりまえ」と怒鳴り、口論となります。このカステラが契機となり、そのままお初は家を出ていくこととなります。
樋口一葉「にごりえ」第八章
夕刻、物語の舞台を出る棺が2つあります。
大通りにあつまった人々の噂話で物語は終わりを迎えます。
「あの日の夕暮れに、二人で立ち話をしてたのを見た人がいる。心中に違いない」
「あの女が心中なんてするわけない。後ろから斬られて、逃げるところをやられたに違いない。それにひきかえ男の方の切腹は見事だった。ふとん屋だったころはパっとしなかったが、この死に方は見事だった」
「菊の井は大損だ、あの子には結構なだんながついたはずなのに」など。
正確なことはわからないが、恨みの残る死ではなかったか、ということである。
樋口一葉「にごりえ」の感想
源七はクズ男でお力は悲劇のヒロイン
本当に関単にまとめると、キャバ嬢をやっていたお力は客の源七と付き合うが羽振りの悪くなってしまった源七と別れ、新しいお客とデキます。
しかし未練が残っている源七は妻子を捨ててお力に付きまとい殺害後に自らの命も絶つ、というお話です。
現代の感覚からすれば源七がクズ男でしかないという感想が強く残ります。叶わない恋愛相手のことを殺してしまうわけですから。
一方で、お力はどうでしょう?
お力の独白からすると、お力は自分が現在「キャバ嬢」という不安定な職業に就いてしまったのは生まれのせいであり、この境遇は抜け出せないものと感じている様子です。そんな中「思い切ってやればいい」と言ってくれた朝之助に惹かれてそのまま一夜を共にしています。
朝之助とその後どうなったのかは不明ですが、「お力」は朝之助と思われる男性と一緒に「太吉」へ高級カステラを買ってやります。この「高級カステラ」は「お力」にとって何を意味したのか?
妻であるお初に対しての手切れ金のつもりなのか、源七に対して感謝の気持ちがあったのか、また「鬼」と呼ばれた子供に対して贖罪をする気持ちだったのか。全ては不明です。
しかし何にせよこの高級カステラを「太吉」へ買ってあげたことが、「お力」殺害へと繋がってしまうのは皮肉な話です。
お力が源七のことをまだ想っていたなら?
源七によってお力は殺害されその後、源七も割腹自殺をするわけですが、それが無理心中(死ぬつもりのない相手を殺して自分も死ぬこと)だったのか合意心中(二人の合意の元、共に死ぬこと)であったのか、実は意見が分かれます。
大半は「無理心中で、死ぬ気のないお力を源七が殺害した」という意見ですが、中には「お力が源七の(家族や子供の)ことを考え身を引いているだけで、源七のことは愛していた」という意見もあります。もし後者であるなら、源七は愛に生きた潔い男として見れなくはないでしょう。
しかし「お力」の源七に対する想いを直接的に表現した文はありませんし、最後も「無理心中なのか合意心中なのかは読者にお任せ」という終わり方ですので、決定的にどちらが正しいということは言えないと思われます。
貧困のスパイラルは現代に通じる
貧乏で境遇の悪い環境で育った子供は十分な教育を受けられず、大人になっても同じようなスパイラルに入り込んでしまう。このようなことは実は現代でも同じことが言え、金持ちの子は金持ちになる確率が高いことが明らかになっており、貧困層の子は大人になっても低収入のまま負のスパイラルに陥るということが社会問題になっています。
樋口一葉自身も貧困に浸った人生を過ごしていたわけですから、そのような思いを小説に入れ込もうとしたのかもしれません。
『にごりえ』をより深く味わうには
以上で『にごりえ』の感想は終わりです。
樋口一葉の人生や時代背景について知ることができれば、『にごりえ』もより深く理解できるようになると思います。
別途記事にしていますのでご参照よろしくおねがいします。