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太宰治『走れメロス』あらすじと感想|メロスは友情のために走ってない

投稿日:2019年8月2日 更新日:

走れメロス

太宰治の作品の中で最も明るく前向きな作品である、『走れメロス』のあらすじと感想を記事にしています。太宰治といえば何度も自殺未遂を繰り返しており、その人生は退廃的であると表現されることが多い作家です。

当然太宰治の小説は『人間失格』などに代表されるような「暗い」作品が多いです。

しかしあなたがこの『走れメロス』読めば、愛と信実と名誉を深く感じ取ることができるでしょう。

何故退廃的な人生を送った太宰がこのような前向きな小説を書けたのか、作品のあらすじと感想とともに見ていきたいと思います。

太宰治『走れメロス』の簡単なあらすじ

まずは『走れメロス』の簡単なあらすじから紹介していきます。

村の羊飼いであるメロスは妹の結婚式の準備品を買いに、40キロほど離れたシラクサへ来ていた。シラクサには友人のセリヌンティウスが住んでおり、これから訪問する予定です。

しかし村の雰囲気に違和感を覚えたメロスは、シラクサの王が人を信じられずに多くの人を殺している事実を知り激怒し、王を殺そうとします。捉えられたメロスは処刑されそうになりますが、妹の結婚式のために3日間の猶予を貰い、その間友人のセリヌンティウスが身代わりとなります。

妹の結婚式を終えたメロスは、信実があることを証明するためセリヌンティウスの元へ走ります。道中川の氾濫や盗賊などの困難に出くわし、諦めますが、偶然見つけた湧き水に救われ再び走り出します。

セリヌンティウスがまさに処刑されるその瞬間、メロスはその足を掴むことに成功します。お互い3日の間に相手を疑うことが一度あり、その贖罪として互いを殴り合い、抱擁を交わします。

それを見ていた王は改心し、信実の仲間の一人に加えて欲しいと言うのでした。

太宰治『走れメロス』のあらすじ

メロスは激怒して捉えられる

メロスは激怒した。かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した

この冒頭部分はあまりにも有名ですね。メロスの壮大な物語が始まりそうな予感が伝わります。

メロスは村の牧人(羊飼い)です。メロスは妹の結婚式の衣装を揃えるため、村から10里(40キロ)ほど離れたこのシラクサへ、野を超え山を越えやってきたのでした。

シラクサには竹馬の友であるセリヌンティウスが住んでおり、メロスはその友をこれから訪れる予定でした。

しかしかつて賑やかであった町はやけに寂しく感じます。聞くと王は人を信じることができなくなり、妹婿、王の跡継ぎ、妹、妹の子、嫁などを次々に殺しているとのこと。

単純なメロスは短剣を持ち王城へ入っていくが、たちまち捉えられてしまいます。

メロスと親友のセリヌンティウス

捉えられたメロスは処刑されることが確定しますが、妹の結婚式のために3日間の猶予を与えるよう懇願する。3日後には必ずここへ帰ってくると王に約束をします。

人を信じることのできない王は、馬鹿げた提案にしわがれた声で低く笑います。しかしメロスは「そんなに信じられないのであれば、無二の友人のセリヌンティウスを人質として置いて行こう。ここに3日目の日暮れまでに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺してください」と言います。

王は身代わりの男を三日目に殺してやるのも気味がいい、と思い残虐な気持ちでそっとほくそ笑みます。

王城に召されたセリヌンティウスに一切の事情を語るメロス。セリヌンティウスは無言でうなずき、メロスをひしと抱きしめたのでした。

故郷へ戻るメロス、そして走る

メロスはその夜、一睡もせず10里(40キロ)の道を急ぎ、明け方に村に到着します。

妹の結婚式は豪雨の中で催されますが祝宴は乱れ華やかなものとなり、メロスは一生このままここにいたいと思うのでした。しかし一眠りをして翌朝目を覚ましたメロスは雨の中、矢のごとく走りだします。

今日は是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上がってやる。
私は、今宵、これされる。殺されるために走るのだ。身代わりの友を救うために走るのだ。王の奸佞邪知を打ち破るために走るのだ。走らなければならぬ。

メロス、希望を失う

王城へは十分余裕をもってたどり着けると考えたメロスですが、川が昨日の豪雨で氾濫し橋が破壊されています。神に懇願するメロスですが、それをせせら笑うかのように、濁流は激しく踊り狂います。

意を決したメロスはざぶんと流れに飛び込みます。

百匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻きひきずる流れを、なんのこれしきとかき分けかき分け、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。

しかし次の瞬間、目の前に一隊の山賊が躍り出ます。持ち物を全て置いて行けという山賊に対し、命の他には何もないと返すメロス。

しかし山賊はその命が欲しいといいます。なんと山賊は王の命令でメロスを殺すために待ち伏せしていたのです。

山賊をなんとか撃破したメロスですが、疲労と午後の灼熱の太陽がメロスを襲います。メロスは疲れ切って動けなくなってしまいます。このままでは日没までに間に合わないことを悟ったメロスは心の中でセリヌンティウスに謝罪し、四肢を投げ出してまどろんでしまいます。

しかしその時、メロスの耳に水の流れる音が聞こえます。岩の裂け目から流れる清水に吸い込まれるようにメロスは身をかがめ、一口飲むと、夢から覚めたような気がします。

わずかながら希望が生まれた。義務遂行の希望である。我が身を殺して、名誉を守る希望である。

息を吹き返したメロスは路行く人を押しのけ、跳ね飛ばし、黒い風のように走ります。沈んでゆく太陽の10倍も早く。

メロスは信じられているから走るのだ

しかし途中でメロスの耳に不吉な会話が聞こえます。

「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ」

ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。

走り続けるメロスに「ああメロス様」という声が聞こえてきます。声の主はフィロストラトス。セリヌンティウスの弟子です。

口から血を吹き出しながら走るメロスに「もう駄目でございます。今はご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じておりました」というフィロストラトス。

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついてこい!フィロストラトス。」

メロス、友を救い王を改心させる

死力を尽くして走ったメロスは、今まさに磔の柱が高々と立てられて吊り上げられていく友の両足に齧りつくことに成功します。

縄が解かれたセリヌンティウスに、メロスは「私を殴れ」と言います。

私を殴れ。ちからいっぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ」

セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場いっぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、

メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれてはじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」

メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それからうれし泣きにおいおい声を放って泣いた

これを見ていた暴君ディオニスはやがて二人に近づき、信実とは決して空虚な妄想ではなかったことを認め、その仲間に入れてもらうよう懇願するのでした。

どっと群衆の間に歓声が起こり、物語は終わります。

太宰治『走れメロス』感想と解説

本当に単純な感想として、この本を読んでいるとメロスに感情移入します。

必ず戻ってくると約束した友人のために困難に打ち勝つ(途中負けますが)メロスの姿を、太宰治が緻密に描写してくれています。個人的に太宰治の人間描写は他のどの作家よりも心に響くものがあるので、メロスの想いが我々の心臓に移植されたのではないかと錯覚するほどに心が震えますね。

『メロス走った』ではなく『走れメロス』。読みながらメロスを応援していまします。まさに「走れメロス!」と。

この物語を解説すると、(理由はわかりませんが)他人を信用できなくなった暴君が、男同士の熱い友情に触発されて改心、まっとうな王になるという話・・のように一見思えます。

しかしメロスが走ったのはセリヌンティウスとの友情のためというのは少し違うのです。

走れメロスは友情がテーマではなく信実がテーマ

実は作品中メロスはセリヌンティウスの命をそれほど案じていません。冷たいようですが。

濁流を泳ぎ盗賊を倒して疲弊したメロスは、一度セリヌンティウスの元へ駆けつけることを諦めています。その際メロスが吐露した心中は次のようなものでした。

「私はこれほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんもなかった」

「君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳いともと友であったのだ」

「私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事もなく私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切り者だ。」

セリヌンティウスの元へたどり着けそうにないメロスが心配したのは「セリヌンティウスのとの信実が守り通せない事」つまり約束を破ることですね。裏切り者になることを死ぬより辛いことであると考えているわけですから。

セリヌンティウスの弟子から「セリヌンティウスはあなたを信じておりました」という言葉を聞いたメロスは

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついてこい!フィロストラトス。」

と答えます。

人の命も問題ではないとまで言い切っています。もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。

と言っていますね。

メロスとセリヌンティウスは命よりも二人の名誉や信実を守ることの方が遥かに重要なわけで、そのためにメロスは走っているのです。

王の不信が信実を照らす

『走れメロス』は信実と名誉が照らされる物語です。しかしながら闇の無いところに光は照らされません。暴君ディオニスの不信の闇が色濃ければ濃いほど、メロスとセリヌンティウスの信実は明るく照らされるわけです。

暴君ディオニスの不信は色濃く描かれる

暴君ディオニスはそれはもう不信の塊です。王の世継ぎや妻、妹、側近、臣下。少しでも疑いを持てばどんどん殺していきます。

捕まったメロスが「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳」と言うのに対してディオニスは次のように返します。

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにはならない。人間は、もともと私欲のかたまりさ。信じては、ならぬ」

そして3日目の夕暮れまでに必ず戻ってくると言い、人質としてセリヌンティウスを差し出したメロスを心の中でこう侮蔑するのです。

どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのもおもしろい。そうして身代わりの男を、三日目に殺してやるのも君がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔をして、その身代わりの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。

人をとことん信じない上に、その信じない自分を正当化したいことがわかります。それ故にメロスを帰路で待ち伏せして盗賊に襲わせようとするわけですね。

メロスの信実が暴君ディオニスの不信をひっくり返す

一方でメロスは命よりも信実を大切にし、人を不信により次々と殺す暴君ディオニスを殺害しようとさえしています(失敗して捉えられますが)。

メロスは信実の存在を証明することにより暴君ディオニスを打倒し、セリヌンティウスを助けるために走ります。

こうした暴君ディオニスの不信とメロスの信実が火花を散らし、最終的にメロスが信実の存在を証明、暴君ディオニスを改心させるという対立構造が見られます。

人間失格と走れメロス

太宰治の代表作に『人間失格』がありますが、この物語は幼少期から他人を理解できず、信頼の殻に閉じこもったまま道化によって世間を生き続ける男の話です。主人公は物語の後半「信頼の天才」な女性と結婚しますが、「信頼の天才」であるが故に悲劇を起こし、主人公は破滅してしまいます。

『走れメロス』は『人間失格』と対極的に信実の証明によってハッピーエンドを迎え、同じ作者が書いたとは思えません笑が、これには理由があります。

前妻の不倫や薬物中毒による精神科病棟への入院などで退廃的な生活をしていた太宰は、1938年に2度目の結婚をすることで心の平穏を取り戻します。

2度目の結婚から終戦まで太宰の作品は非常に前向きで明るいものとなっており、『走れメロス』はその時期(1940年)に執筆されたために、このように人間の光の部分に焦点を当てた小説となっているのです。

-太宰治

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