この記事では、生物学者でありノーベル生理学・医学賞を受賞したハー・ゴビンド・コラナについて解説をしています。
ハー・ゴビンド・コラナはどのような功績をあげ、どのような人生を送ったのでしょうか?
ハー・ゴビンド・コラナの生い立ち
ハー・ゴビンド・コラナ(1922/1/9-2011/11/9)はアメリカ合衆国の分子生物学者です。
1968年度のノーベル生理学・医学賞を遺伝情報の解読とそのタンパク質合成への役割の解明で受賞しています。
ハー・ゴビンド・コラナは当時イギリス領であったインドの貧しい村で生まれました。コラナの父親はイギリス領インド政府の村の農業課税担当官でした。
ハー・ゴビンド・コラナは自伝の中で「貧しい中、私の父は子供たちを教育することに専念していた・・・そして、私たち家族はおよそ100人の人が住む村で唯一の識字ができる家族でした」と記述しています。コラナは木の下で4年間教育を受けましたが、それがコラナの村で唯一の学校だったのです。
コラナは奨学金の援助を受けながら、パキスタンにあるパンジャーブ大学で学びます。1945年、ハー・ゴビンド・コラナが26歳の時ににイギリスのリバプール大学で博士号を取得、その後研究者となります。2年間をケンブリッジで過ごし、タンパク質や核酸の研究を行います。
1960年に、ハー・ゴビンド・コラナはウィスコンシン大学マディソン校の酵素研究所で共同理事を務めます。
1962年に生化学の教授となりますが、ウィスコンシン大学に在籍している間、ハー・ゴビンド・コラナは「RNAがタンパク質の合成をコードするメカニズムを解読しているのを助けている」ことを発見します。そしてこの大学に在籍している間、ノーベル賞授与に繋がる研究を完成させます。
その後1970年になり、マサチューセッツ工科大学の教授となり、晩年まで勤め上げます。
1952年に結婚、3児の父親となり、1968年12月12日、ハー・ゴビンド・コラナが46歳の時にノーベル賞を受賞します。
ハー・ゴビンド・コラナの研究
ハー・ゴビンド・コラナがノーベル賞を受賞したのは、遺伝情報の解読とそのタンパク質合成への役割の解明、簡潔に言えば「すべての生物に共通する遺伝子暗号は塩基3文字ずつ言葉で書かれている」ことを証明したのが授賞理由です。
皆様はDNAという言葉を聞かれたことはあるかと思います。DNAとは遺伝子情報であり、タンパク質合成の情報が詰まっていることから、DANはタンパク質をつくる設計図とも言われています。
遺伝子の本体であるDNAは一旦RNAという物質に転写され、それが翻訳されてタンパク質(アミノ酸)が合成されます。
DNAが持つ遺伝子情報を、一旦別の用紙(RNA)に写し、それを元にタンパク質を合成するイメージです。
タンパク質合成の元となるRNAは糖・リン酸・塩基という3種類の物質から成りますが、RNAの塩基はアデニン・グアニン・シトシン・ウラシルという4種類が存在します。その塩基部分の配列により、タンパク質の元となるアミノ酸が何になるのか決定されることとなります。
つまり、20種類あるアミノ酸のうちどのアミノ酸を生成するのかを決定するのは塩基部分の配列であることをハー・ゴビンド・コラナは証明したわけです。アミノ酸同士が結合(ペプチド結合)されて、最終的にタンパク質になるため、DNAの塩基がタンパク質合成を決定するとも言えますね。
塩基配列とアミノ酸合成のルールとして、
- 2つの塩基が交互に繰り返したRNAは2種類のアミノ酸を与える
- 3つの塩基が交互に繰り返したRNAは3種類のアミノ酸を与える
- UAG・UAA・UGAという配列を含む4つの塩基が交互に繰り返したRNAはジペプチドかトリペプチドしか与えない(タンパク質の合成が終了する)
ことを発見し、転じて、すべての生物に共通する遺伝暗号は塩基3文字ずつの文字で書かれていることを明らかにしたのがハー・ゴビンド・コラナだったのです。
(因みに、U=ウラシル,A=アデニン,G=グアニンです)
DANとRANの役割について
DNAとRNAについてのわかりやすい動画がありましたので、載せておきます。
死去
2011年11月9日アメリカのマサチューセッツ州、ハー・ゴビンド・コラナは89歳で死去しました。ハー・ゴビンド・コラナの妻と娘の1人はコラナが死去する前に、すでにこの世を去っていした。
ワシントンポスト紙は、彼の死に際して「コラナ博士は控えめで内向的な性格で知られていた。彼は科学出版物で重要な科学的発表の多くを行った」と記述しています。