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太宰治『畜犬談』あらすじと感想|私とポチの意外な結末を解説

投稿日:2019年8月4日 更新日:

畜犬談

この記事では太宰治の小説『畜犬談』のあらすじと解説、そした感想を書いています。人間失格などの暗い小説が有名な太宰治ですが、この『畜犬談』はユーモアに溢れ読者の心を惹きつけること違いありません。

犬嫌いの私が飼い犬のポチに下した結論はどのようのものだったのでしょうか・・?

太宰治『畜犬談』の魅力

畜犬談は主人公である「私」が、如何に犬が嫌いで恐ろしい生き物であるかということが訥々と書かれた小説です。表面上は。

犬のことを嫌いなだけでなく極度に恐れている主人公の「私」が、噛まれることを回避するために犬に対して理論的に行動をしていくのですが、それが逆に犬の好感を呼び込み犬に好かれていくという物語になっています。

犬を忌避し、いかに犬に噛まれないように済むかを考えた結果、どんどん犬に好かれていくという過程と、犬がいかに駄目で怖い生き物かという事を表面上理論的に語られていくのですが、その理論がどう考えても屁理屈であるところがさらに笑いを誘います。

例えば、犬がいかに恐ろしい生き物であるかを私は次のように語ります。

諸君、犬は猛獣である。馬を倒し、たまさかには獅子と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。

さもありなむと私は一人寂しく首肯しているのだ。あの犬の、鋭い牙を見るがよい。ただものではない。

いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとく自ら卑下して、ゴミ箱を覗きまわったりなどして見せているが、もともと馬を倒すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。

犬は必ず鎖に固くしばりつけて置くべきである。少しの油断もあってはならぬ。

このような調子で物語は進むのですが、ある日「私」に懐いた犬の「ポチ」を巡り重大な問題が起こり、その問題を通して主人公の「私」はある重要なことに気づくのでした。

太宰治『畜犬談』かんたんなあらすじ

犬が大嫌いで、友人が噛まれたことにより過度の恐怖を感じている「私」。しかし「私」が噛まれないよう心がけるほど、犬の機嫌をとることになり懐かれてしまう。

懐かれた犬の中に黒い小さい犬(ポチ)がおり「私」の家に居ついてしまう。恐怖心から甲斐甲斐しい様子で世話をしているうちにポチは私にさらに懐いてしまう

東京へ引っ越すのを契機にポチを置いて行く算段をつける私であったが、間の悪いことにポチは皮膚病になってしまう。

悪臭に耐えかねた妻はポチを殺すよう提案し、私も東京へ引っ越す日が順延するのが決まると、腹をくくりポチを殺そうとする。

ポチを殺そうとしたその日、ポチは野良犬の襲われるも撃退。私はポチの姿に自分を投影し、気が付けば手に汗をかいていた。

ポチに毒の餌をやるもポチは死ななかった。家に帰った私は不服そうな妻にポチを東京へ連れていくことを伝えるのであった。

太宰治『畜犬談』 あらすじ

『畜犬談』は太宰治の短編小説の一つですので、物語自体は非常に短く読みやすい小説です。

「私」がどれだけ犬を嫌いで恐れているかを序盤で語り、ポチとの出会いを通じてポチの処遇が決まるまでをユーモア小説として描いています。

犬を嫌悪し、極度に怖がる「私」

私は、犬については自信がある。いつの日か、必ず食いつかれるであろうという自信である。

冒頭からしてすでに面白く、読者をグイと惹きつけます。

「私」によると昨年の晩秋に犬に噛まれた友人がおり、その噛まれた友人は3週間病院へ通い、傷が治ったあとも恐水病(狂犬病)予防のための注射をしてもらわなくてはならないと言います。

うっかり注射でも怠ろうものなら、恐水病といって、発熱悩乱の苦しみあって、果ては顔が犬に似てきて、四つん這いになり、ただわんわんと吠ゆるばかりだという、そんな凄惨な病気になるかも知れないということなのである。

「ただわんわんと吠ゆるばかり」という表現でニヤっとしますが、このような調子で「私」による犬に対する本気の(第三者から見れば面白い)攻撃が続きます。

友人の遭難を聞いて「私」の蓄犬に対する日頃の憎悪は、その極天に達し、青い炎が燃え上がるほどの思いつめた憎悪となります。

犬に対して真剣に対策をし、犬に懐かれる「私」

今年の正月に山梨県甲府のまちはずれで小説を書き進めていた私ですが、甲府の街にはどこへ行っても犬がいます。

友人の一件以来もあり真剣に対策を考えるようになった私は、まず犬の心理を研究し始めます。

尻尾の動きや素振りはなかなかに複雑で、容易に見切れるものではないことに絶望した私は、無能きわまる一法を考案します。それは犬に出逢うと、満面に微笑を湛えていささかも害心のないことを示すことでした

夜はその微笑が見えないかも知れないので、無邪気に童謡を口ずさみ、やさしい人間であることを知らせようと努めます

髪をあまりに長く伸ばしていると、ウロンのもの(疑わしく怪しい人)として吠えられるかも知れないから、あれほど嫌だった床屋へも行きます

ステッキなど持って歩くと、犬の方で威嚇の武器と勘違するかもしれないので、ステッキは永遠に廃棄することにします

こうして犬のご機嫌をとっているうちに、私にとっては意外の現象が現れるのです。それは

私は犬に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後ろについてくる。私は、地団駄踏んだ。

嫌いで恐怖の対象である犬に無害であることを全力でアピールした結果、犬に懐かれるという皮肉な結果。

これは笑えます。

ポチとの出会い

早春、私がすぐ近くの四十九連隊の練兵場へ散歩に出ると、2,3の犬が後についてきます。けれどもこれは毎度のことであり、犬に慕われながら帰途につきます。

内心、実に閉口であった。ピストルでもあったなら、躊躇せずドカンドカンと射殺してしまいたい気持ちであった。

犬は、私にそのような外面如菩薩、内心如夜叉的の奸佞の害心があるとも知らず、どこまでも付いて来る。

これまでは、家へ帰りつくまでは背後の犬もどこかへ雲散霧散していたのですが、その日はとうとう家の玄関まで黒い子犬がついてきます。

手荒くすると食いつかれると思った私は、妻にお菓子でもやるように言い伝えます。そうして子犬はそれからずるずると私の家に住み着き、私は仕方なくこの犬をポチと名前をつけます。

私は犬に対する愛情からではなく犬に対する先天的な憎悪と恐怖から発した老獪な駆け引きの結果、憎いやつであると思いながらも、縁の下に寝床を作り、食物も乳幼児むきに軟らかく煮て与え、蚤取粉などからだに振りかけてやります

洗濯物を引き下ろしたときは

「こういう冗談はしないでおくれ。実に、困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれとたのみましたか?」と、私は、内に針を含んだ言葉を、精いっぱい優しく、いや味をきかせて言ってやることもあるのだが、犬は、きょろりと眼を動かし、いや味を言い聞かせている当の私にじゃれかかる。

なんという甘ったれた精神であろう。私はこの犬の鉄仮面には、ひそかに呆れ、これを軽蔑さえしたのである。

散歩をするときは

「ポチは私の傍を離れず、私の顔を振り仰ぎ振り仰ぎ、あとになり、さきになり、からみつくようにしてついて来るのだから、どうしたって二人は他人のように見えまい。おかげで私は外出のたびごとに、ずいぶんくらい憂鬱な気持ちにさせられた。いい修行になったのである。」

こうして「私」当人にとっては犬を恐れ毛嫌いすることから発せられる行動も、ポチにとっては犬に必要な躾と愛情表現となり「私」への信頼が積み重なっていきます。

このことは第三者である妻からも指摘され、ポチのことを「人の顔色ばかり伺っている」と妻に愚痴る私に対し、妻は「あなたが、あまり、へんにかまうからですよ」と突き放され、「飼い主に、似てきたというわけかね」と返しています。

物語の急転

このように「私」にとっての悲劇=読者にとっての喜劇が展開されるのですが、7月に入り「私」の東京へ引越しが決まります。これを好機と捉えた私は「全くうっかりして連れていくことを忘れた」ことにして、ポチをここに置いて行くことにします。

しかしここに異変が起こります。

ポチが酷い皮膚病にやられてしまったのです。夏の炎熱とともにただならぬ異臭を放つようになり、私の妻が参ってしまいます。

ご近所に悪いわ。殺してください。」女は、こうなる男よりも冷酷で、度胸がいい。

「殺すのか」私は、ぎょっとした。「もう少しの我慢じゃないか」

ここまで散々犬のことを死んでほしいと願っていた私ですが、いざそれが現実味を帯びると躊躇しはじめます。

引っ越しをするには三鷹の家が完成しなければなりません。しかし連絡が来るたびに工期は遅れ、ポチの皮膚病は悪化の一途を辿り、私のイライラは募ります。

ある日ポチの蚤を発見した夜、私はとうとう重大な決意をします。

殺そうと思ったのである
妻に牛肉の大片を買いに走らせ、薬屋に行きある種の薬品を少量買い求めた。これで用意はできた。

物語の雰囲気は急変。今まで冗談と捉えられていたポチの死が近づいてきています。

ポチの毒殺・・そして東京へ

あくる朝、毒入りの肉が入った丈の皮包をさげて外へ出た私はポチを連れて練兵場へ向かいます。ポチが捨てられた場所でポチを殺すために。

しかし練兵場へ向かう途中、おそろしく大きい赤毛の犬がポチの背後から、睾丸めがけて襲いかかります。いつもであれば喧嘩を毛嫌いしていた私は叫びます。

「やれ!」私は大声で命令した。「赤毛は卑怯だ!思う存分やれ!」

私の許可を得たポチは、赤犬と格闘し、赤犬はほどなくきゃんきゃん悲鳴を上げて敗退しました。

喧嘩が終わって、私は、ほっとした。文字どおり手に汗して眺めていたのである。

一時は二匹の犬の格闘に巻き込まれて、私も共に死ぬるような気さえしていた。俺は噛み殺されたっていいんだ。ポチよ、思う存分、喧嘩をしろ!と異様に力んでいたのであった。

「よし!強いぞ」ほめてやった私は歩きだし、練兵場へ着き、牛肉の大片を足もとへ落とします。

「ポチ、食え」私はポチを見たくなかった。ぼんやり底そこに立ったまま、「ポチ、食え」足もとで、ぺちゃぺちゃ食べている音がする。一分たたぬうちに死ぬはずだ。

こうして毒をポチに食べさせた私は猫背になって、のろのろ歩きます。そして橋を渡り、中学校の前まで来て振り向きます。

振り向くと、ポチが、ちゃんといた。面目なげに、首を垂れ、私の視線をそっとそらした。

私はすぐ事態を察知します。薬品が効かなかったのです。

家へ帰った私は次のようなやり取りを妻と行い、物語は終わります。

「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」私は途中で考えて来たことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない、みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れて行こうと思うよ。友がもしポチの格好を笑ったら、ぶん殴ってやる。卵あるかい?」

「ええ」家内は、浮かぬ顔をしていた。

「ポチにやれ、2つあるなら、2つやれ。お前も我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐなおるよ」

「ええ」家内はやはり浮かぬ顔をしていた。

太宰治『畜犬談』解説と感想

読み進めていくと「私」は本当に犬のことが嫌いなのか・・?本当は犬のことが好きなのに、それを表に出すことができないから嫌いという体で小説が進んでいるだけじゃないのか・・?という疑問が湧き上がると思います。

しかしながら「私」が犬のことが大嫌いで恐怖の対象としていることは間違いありません。

ただ本人は真面目に考えて行動しているのに、それが犬に好かれることしかしていない、という矛盾がこの物語を可笑しくさせています。

しかし途中で物語は急展開を迎えます。妻がポチを殺すよう提案してきたのです。

犬に嫌悪と敵意そして恐怖を抱いていた主人公ですが、ポチが皮膚病にかかり妻から殺すよう提案されると「ぎょっ」とします。あれほど毛嫌いしていたわけですから本気で殺したいのであれば殺せるはずなのです。なのに「私」は引っ越しの日まで我慢することを選択します。

しかし引っ越しの日が順延するにつれ、私のイライラは頂点に達し、遂に殺害を決心します。

ポチ殺害の日、ポチは赤犬に襲われます。これから殺すわけですから、赤犬と戦おうが戦うまいがどうでもよいわけです。本当に殺すつもりなら。

しかし私は手に汗をかくほど、赤犬と戦うポチに感情移入してしまいます。「俺は噛み殺されたっていいんだ」とまで言っています。この段階でもうポチは私にとって、敵意の対象ではなくなっています。

そして毒の肉からも生還したポチを連れ、これから共に生きていくことを妻に宣言します。ただ妻は浮かない顔をしています・・・。

という、最終的には私の犬へのツンデレっぷりが半端ない作品となっています。

弱者=ポチ=太宰治

物語最後のセリフで唐突に「芸術家はもともと弱い者の味方だったはずなんだ」というセリフが出てきます。

これは一体なんでしょうか?

私の職業は小説家=芸術家であり、つまりは太宰治です。芸術家は弱い者の味方、つまり本来ポチの味方だったはずなんだ、という考えですね。

この『畜犬談』が発表されたのは1939年ですが、1936年から1937年にかけて太宰は薬物中毒で精神科病棟へ入院したり、最初の妻に不倫されたりと非常に辛い時期を過ごしています。1938年に二人目の妻である石原美知子と結婚、そこから太宰治の小説家として第二の人生がスタートしています。

ですので「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。」とは太宰治が小説家として、弱者の友として新しいスタートを切る決意と考えることができます。

そして「人の顔色ばかり伺っている」ポチですが、それを私は「飼い主に似てきた」とも評しています。そして赤犬と戦う場面においては「俺は噛み殺されたっていいんだ」と自分をポチに投影しています。

つまりポチを引き取り東京へ連れて行き、おそらくは皮膚病も治しポチを治療することは、作者の太宰自身を再生することと重ね合わせていると言えるでしょう。

サブタイトルが「伊馬鵜平君に与える」となっている理由

なお『畜犬談』はサブタイトルが「伊馬鵜平君に与える」となっています。謎ですねw

実は『畜犬談』があづみ文庫『玩具』に再録された際、太宰治はあとがきで次のように記しています。

『畜犬談』も、いくらか皮膚病嫌悪の小説みたいなところもあるが、甲府では私は本当に野良犬どもに悩まされた。

はじめは大まじめで、この鬱憤を晴らすつもりで取り掛かったのだが、書いているうちに、滑稽になってしまった。鬱憤もまた度を超すと、滑稽に止揚(あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと)するものらしい。

書き終えて読み返してみたら、まるでもう滑稽小説になってしまったので、これは当時のユウモア小説の秀才、伊馬鵜平君に捧げることにしたのである。

深い意味はなく、ユーモア作品なのでユーモア作家に捧げたよ、ということらしいです。

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