この記事ではバロック期の代表的画家、バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョについて解説をしています。
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョはどのような功績をあげ、どのような人生を送ったのでしょうか?
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バルトロメ・エステバン・ムリーリョとは?
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 1617年12月31日 – 1682年4月3日)は、バロック期のスペインの画家あり、17世紀のスペイン黄金時代美術の歴史を代表する画家です。
バロック期とは、16世紀末から17世紀初頭にかけイタリアで誕生しヨーロッパ全土へと拡大した、美術文化様式です。この時代、宗教改革によって教会体制の革新運動が起こっています。求心力を失いつつある協会が信者を呼び戻すために確立されたのがバロック美術ですね。
例を挙げると、イタリアのカラヴァッジョの作人『聖マタイの召命』などがあります。
誇張された動き、凝った装飾の多用、強烈な光の対比のような劇的な効果、仰々しいまでの豊饒さや壮大さなどによって特徴づけられますが、画像を見ていただければそれがおわかりいただけるかと思います。「求心力を失いつつある協会が信者を呼び戻すために確立された」というのがわかるような気がしませんか?
光と影のコントラストが、神々しさを感じさせますよね。
バルメトロ・エステバン・ムリーリョの生い立ちと死
次に、バルメトロ・エステバン・ムリーリョの生涯について触れます。
バルメトロ・エステバン・ムリーリョは1618年、スペインで民間医師の子として生まれたと言われています。
14人兄弟の末子で幼い頃に両親を亡くしていますが、詳細については不明な点が多い画家であり、どのように画家としての経歴を積み上げていったかについても記録が残っていません。
1633年、バルメトロ・エステバン・ムリーリョが15歳の時にアメリカへ行くための申請を行ったことが記録として残っており、その年かそれ以前に芸術の訓練を開始したと推測されています。
1642年にマドリッドに移り、そこでベラスケスの作品を研究したと言われています。なぜならば、バルメトロ・エステバン・ムリーリョのその後の作品はベラスケスの影響を受けていると思われる点があり、具体的には作品が色豊かであり、柔らかさがみられる等の点です。
バルメトロ・エステバン・ムリーリョの作品尾多くは宗教画ですが、風俗画や肖像画も描かれています。
生涯の大部分をセビリア周辺で過ごしており、1682年にカディス(セビリア南方の海辺の町)の修道院で制作中、足場から転落したことが原因で死去したと言われています(諸説あります)。
バルメトロ・エステバン・ムリーリョの作風と作品
初期はテネブリズム(光と闇のコントラストを用いたスタイル)を中心とした作風でしたが、先ほども書いたように1650年代以降、ベラスケスのの影響により作品に色彩豊かな表現がみられるようになります。
スティロ・バポローソ(薄もやの様式)と称される、画面全体が薄もやに覆われたような夢幻的な作風は1670年頃からの晩年の作品で顕著にみられます。
ここではバルメトロ・エステバン・ムリーリョの代表作をいくつか紹介していきたいと思います。
『蚤をとる少年』(1645-1650年頃)
少年が蚤を取っていることから『蚤をとる少年』と呼ばれているが、当時は身なりや粗末な食物から『乞食の少年』と言われていたそうです。
メロンとブドウを食べる子どもたち(1645-1655年)
無原罪の御宿り(1678年頃)
作風が先の2枚と異なるのがお分かりいただけるかと思います。
先ほどの作品はテネブリズム(光と闇のコントラストを用いたスタイル)を中心としていますが、この作品は「スティロ・バポローソ(薄もやの様式)」と呼ばれます。
聖母子(1650-1660年頃)
幼児キリストと聖ヨハネ(1670年頃)
左側がイエス、右側がヨハネです。
旧約聖書中で最後の預言者であり、イエスへ洗礼を施したヨハネの姿が、風俗画的な手法で描かれています。
善き羊飼い
善き羊飼いとは、イエス・キリストの象徴的な呼称です。
「罪人を受け入れる神の姿=迷える子羊を見つけて喜ぶ羊飼い」と重ね合わせて表現された作品です。